のびのびこども園

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2020年2月6日

節分の鬼登場は幼児虐待なのか

こわいよwっ(泣き)

さて、巷では豆まきで鬼を登場させ子どもを怖がらせるのは虐待ではないのか、という議論があります。虐待であるという主張の趣旨は、しつけという名目で子どもに理不尽な恐怖を与えるからだということです。

のびのび幼稚園はこう考えます。

「安全な場所で怖いと感じる経験をするのは教育である。幼い時に人知の及ばない存在に思いを馳せることは価値がある。」

本当に怖い思いを危険な場面で初めてすることこそ、リスクが高いです。よく知っている安全な場所で安心できる保育者がいて、怖い対象がなぜ登場するかわかっている、そういった場所で「怖い」思いをすることは貴重な経験だと思いませんか?

上の写真を見てください。1歳から5歳の子供がいますが、鬼の様子や戦うお兄さんお姉さんや友達の様子をよく見ています。何がおきているかわからないことこそ恐怖ですから、園舎の隅のここは安全という場所で観察しているのです。また、年長の子どもは自分の欠点に立ち向かうために、怖くても鬼に向かっていって豆を投げつけます。すがすがしく感動的な姿です。

豆を当てたぞ それ逃げろっ

のびのび幼稚園の節分の鬼はいわば来訪神(らいほうしん)です。年一度の節分の日に訪れ終わると帰っていく。常日頃姿を現し子どもを怖がらせるわけではありません。来訪神は地域の人々に幸せをもたらし災いを取り除くと信仰され、世界中に多種多様な行事が伝承されています。男鹿のなまはげなどは幼い子どもを大泣きさせますが、それも成長するに従い乗り越え、やがて地域の人々に愛され親しまれる大切な神様になっていくそうです。

目に見えることだけが世界の全てではないのではないでしょうか。自分が悪いことをしていると感じるとき、たとえばものを盗ったり友達に意地悪をしたりしたとき、誰もいなくても鬼は見ていると感じるのは善悪の判断に影響をあたえるでしょう。鬼は自分の心の中にいるのです。また、鬼の存在を思うことは人知の及ばないものへの畏敬の念を幼いながら触れる機会にもなります。自分が世界で一番エラく何をしても咎められることはないと錯覚したままでいることこそこわいことです。

このような鬼の効果を考えず、自分の指導力不足をよそに思い通りに行動しない子どもをおもしろがって怖がらせるための鬼登場だとしたら、それはまちがいなく虐待です。しかし、こうした節分という行事の意味をかみしめながら行う保育は、子どもの健やかな成長を促します。

のびのび幼稚園には来年も怖い鬼が来ることでしょう。